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2007年7月5日 舞茶/正木高志

梅雨の朝 静かな雨
森のなか 雲のなか
杉の樹と ハグをした
おかえり ・・・
ただいま ・・・

うまい! フー!
山の水 山のお茶
久しぶり ゆっくりと
ただいま ・・・
おかえり ・・・

夏至から二週間たったなんて、とても信じられません。竜宮城土産の玉手箱を開いたみたいに、
煙がたちのぼって、あっという間に時が過ぎ去ってしまったのでしょうか。
ごあいさつが遅れ、申し訳ありません。
東北から九州までの車の旅がけっこう遠く、阿蘇へ帰ってからも、長崎へ熊本へと飛び回り、
昨日やっと休みがとれて、ホッと一息ついたところで。

walk9は夏至の6月22日朝10時、青森県六ヶ所村の吹越烏帽子嶽に、無事到着しました。
はるかに再処理工場を見おろす山の森を、長い巡礼の列が、龍のようにくねりながら、
天へ昇ってゆきました。
出口信一さんによってwalk9満了のご神事がおこなわれました。
朝までの雨が夢のように晴れわたり、祈りと感謝と希望と愛の喜びが山頂にわき立ちのぼりました。
はじまったね、はじまったね!と口々にいいあいながら。

Walk9は吹越烏帽子の山頂で解散しましが、みんなは山を下りたその足で、植樹祭会場「rockasho朝(あした)の森」へ行き、ミズナラ、マツ、ヤマザクラなど、300本の苗木を植林しました。
それはまるで、walkでともされた悲が、あしたの森の苗木たちの悲緑色になって、萌えあがる日継神事の様でした。木を植えて赦される犠牲供養であり、予言された神話でもあり。。
賛同の気持ちや言葉とともに、walkにはたくさんの寄付金も寄せられました。後ほど正確な会計報告をいたしますが、おおよそ80万円くらいです。そのうち苗木代に15万円くらいつかいました。残る55万円は「rockashoあしたの森」の土地購入代金の種になることを願って、同購入基金に寄付することになりました。
こうしてwalk9のグラウンディング・スピリットは「rockashoあしたの森」に確かに伝達されました。

多くの方々のお蔭さまで、こんなに素晴らしいwalkになりました。
ありがとうございました。
ぼくの意識できない蔭のお蔭さまにも、心から感謝をささげたいと願います。
たくさんの人たちに、多大な迷惑をかけたことにも、お詫び申しあげます。モーシワケありまへん。
どうぞお赦しください。ゴメンナサイ。

しばらくして一段落したら、巡礼のテーマであった「グラウンディング」について、なるべく速く書いてみようと思っています。Walkそのものについても書いてみたい。
これがいま一番やりたいこと。
とりあえず、お礼申しあげます。
アリガトウ
マイサ

6月15日 新月 舞茶/正木高志

このごろよく「これから何をするのですか?」と訊かれて困る。しかたなくムニャムニャと応えているけれど、ほんとうは「こらから何が起きるのだろう?」ということをぼくはよく考えている。

グラウンディング・ムーヴメントが生まれようとしている。
今日の社会や環境の状況に触発されて、若者たちから自然発生的に起きつつあるムーヴメントを言葉にするなら、それは「グラウンディング」。

かつて60年代の若者たちがドロップアウトしてロックやサイケデリック・アートなどのカウンター・カルチャーが誕生したように、いま2000年代の若者たちがグラウンディングして、新しいグラウンディング・カルチャーが誕生しつつあるのだ。それは9aid(ナインエイド)やstop6kashoムーヴメントの母体となるだろう。

グラウンディングとは何だろうか?
それがwalk/巡礼のテーマだった。
グラウンディングすることが。
歩きながらそれがすこしづつ見えてきた。
「これから何をするのか?」という問いに答えるならば、ぼくはいま「グラウンディング」について書きたいと強く思っている。
いま、ちょっとだけグラウンディングについて予告編を書いておくならば、ぼくは「自然回帰」と書いて「グラウンディング」と読みたいと思っている。
グラウンディングとは自然の「お母さん」に帰ること。
人間のがわから自然のお母さんサイドへのアイデンティティのシフト。
そこから地球はよみがえるのだと思う。



深い川渡って 母さんのひざへ
虹の橋渡って 母さんの胸に
木を植えて祈る 母さんの森に
悲をともし祈る 母さんの海に
文明はめぐる 母さんのもとへ
世界は帰る 母さんのそばへ

6月14日 正木高志

Walkが青森県にはいった。
六ヶ所村まであと3日。
吹越烏帽子まであと5日。
とうとう到着。

歩きはじめたころ。歩くのがうれしくて、うれしくて、しかたなかったころ。
このまま3ヶ月間歩いたら、最後は宙に浮いて、空を飛べるかもしれない、などと思っていた。
だけど実際には、やっぱりくたびれて、今は地を這うみたいに歩いている。若者たちも、力を振り絞って歩いているように見える。
もちろん、もっとインターバルをあけて歩けば、力はついているわけだけれど、休みの日だって忙しく、3ヶ月間歩きつづけてきたわけだから。
といってもぼくはこのごろ歩かない日が多い。トークをしたり、原稿書いたり、一昨日は六ヶ所村まで行ってきたりして。でも、ほんとうはトークはすごく疲れる。歩くほうがずっといい。山陰から若狭へかけて、何も考えずに歩いていた日々を、なつかしく思い出したりして。

巡礼ははっきり3つのパートに分かれていた。
出雲から白山までは弥生時代以降の渡来系の神々の聖地巡礼だった。越の国(越前・越中・越後)ではよくお寺に泊めていただいた。道元、親鸞、日蓮たちの仏教の聖地を巡った。そうして福島県から東北地方に入ったとたん、神々の雰囲気がガラリと変わって、縄文の神々の世界にはいった。そこにはまだ「森のお母さん」がイキイキと息づいていた。
つまりこの3ヶ月かけて、縄文の神々の世界、渡来系の神々の世界、仏教の(神々の)世界を巡ってきたように思う。これら3種の神々は、これまで歴史的に支配・被支配関係にあって、軋轢もかかえてきたのだけれど、みなこの国の神々であり、私たちの内に在るものであり、「おむすび巡礼」はそれらの神々の世界を結んできたように思われる。

Walkはまた、別の意味で2つのパートに分かれていた。
出雲から白山までは、ぼくがはじめに歩こうと思った巡礼だった。その間ぼくはずっと先頭を歩いた。
白山で若者たちにバトンタッチした。若者たちが先頭に立ち、若者たち主導のwalkがはじまった。
マイサ(正木)の巡礼から若者たちのwalkへ。60年代を生きたエルダーから、2000年代のカルチャーをクリエイトすべき新しい世代へ。
そのシフトはすばらしくうまくいったと思う。
そして彼/彼女たちがグラウンディングというキーワードをしっかりと自覚しはじめたのは新潟あたりからだった。東北地方はすっかりグラウンディングの旅だった。最初から通して歩いてきた若者たちがつぎつぎに「お母さんに抱かれる」ような意識を体験するようになった。
それは彼/彼女たちの顔を見ているとすぐわかる。自然の母さんに抱かれると、顔が輝く。うれしくて、うれしくて、たまらないような、よろこびに輝く。それがいちばんの収穫だったと思う。

圧巻は早池峰山だった。
6と9は今年のムーヴメントのキーワードだ。6ヶ所村へ向かうwalk9にとって6月9日はとても大切な日。
各地でさまざまなイベント、ギャザリングが開かれた。
ぼくもいろいろ誘われながら、どこで何をしようと迷っていたけれど、迷いながらとうとうどこへも行かず、walkのメンバーとともに過ごすことに決めた。それもイベントをやるのではなく、東北の森に抱かれて祈りの時をもつことにした。
岩手県の宮古で6月9日をむかえたので、早池峰山のバンガローに泊まって、一日すごすことにした。何もせず、ひとりひとり、東北の森の奥深く、静かな時をすごした。
すばらしい日になった。ブナの森が美しかった。森を流れる渓流も、森をわたる風も、光をたたえていた。お母さんの匂いを運んできた。小鳥たちが胸いっぱい歌い、蝉も蛙も虫たちも歓びの大合唱をした。
ぼくは遠野の早池峰神社にお参りをしてから、ブナの原生林の奥深く、滝へむかった。頂に雪を残す渓流の水は冷たかったが、みそぎをしてからお母さんにご挨拶をして、笛を吹いた。思いっきりお母さんに歌った。
うれしかった。気持ちよかった。
東北の森のお母さんに、九州・高千穂の民謡「刈干し切り唄」を歌った。すごく喜んでくれたように思う。帰り路、山を下りながら、両手をぎゅっと握りしめて震えるほどの喜びを感じたから。
胸が痛いくらいうれしかった。
それですっかりぼくは安心した。
東北の森の、縄文のお母さんに会えた。

あと一週間で夏至。
とうとうここまでやってきた。
みんなありがとう。
22日へむけ、日々walkの参加者が増えつづけている。夏至の日にはどれくらいになるのだろう? 100人くらいかな? もっと?
みんなに会える日が楽しみです。

5月27日  舞茶/正木高志

久しぶりに日記を書きます。
東海岸に着いて太平洋にふれたとたん、風邪を引きました。仙台でのトークライブもあって、5日間ほど歩いておらず、今日こそはと思っていた矢先、早朝みんなに、「マイサはあと一日休んでいたらいいよ」と労わられて、まだwalkに復帰できていない病みあがりです。
でも、お蔭さまでとてもよい安息になりました。昨日は蔵王の山にご挨拶に行きました。ぼくと一緒に風邪を引いたメンバーも複数いて、全員疲れ気味でもあったので、みんな休んで新緑の山へ、そして温泉にも浸かってきたのでした。
すばらしかったよ、お釜も見たし、蔵王のお山。森に出会えました。厳かな美しい山のお母さん。ほんものの命の森。
初夏の平野から雪の残る1000メートルの蔵王山へ、車で一気に季節を遡るんだよ。新緑に戻り、桜に戻り、つぼみに戻って、ついには真冬の寒さまで。山の上は、吹き飛ばされそうになるくらい強く寒い風だった。逆がまたいい。ぐんぐん季節が戻って初夏になってゆく、ドップラー効果みたいな緑の輝き。
今日、薬師丸さんのアトリエで休ませていただいていたら、久しぶりに歌が生まれました。詩とメロディーが一緒だったので、詩も曲もラフなままだけど、さっそくレインボーバードと一緒に歌ってみました。

grounding

虹の橋 渡って 母さんの胸に
深い川 渡って 母さんの胸に
舟をこいで渡る 母さんのひざに
山を越えて帰る 母さんのひざに

木を植えて戻る 母さんのもとへ
巡礼をゆく 母さんのもとへ
世界はかわる 母さんのそばへ
文明はすすむ 母さんのそばへ

  ララララ
 ・・・・

まだラフだけど、ここから曲ができるかな?
じつは今日はせっかく休みになったのだから、HP日記に「グラウンディング」について書いてみようと思っていたのだけど、結果的にグラウンディング・ソングが生まれてしました。こんなことって、あるよね。なんだかアテが外れたみたいでもあって・・。
熱だして、寝こんで、山登って、温泉に入って、いい浄化転換になりました。疲れが溜まってたんでしょうね。脱皮して、一皮剥けたような気がしています。とても楽になりました。
明日はwalkに復帰できるでしょう。
歩きながら、この唄、歌ってみよう。

5月14日 正木高志

すでに新潟から太平洋岸へ向かって会津街道を歩きはじめているが、フシギと何度も日本海へ呼び戻されることになった。ぼくらにも別れ難い思いはあるけれど、海のお母さんも離れ難く思われているのではないだろうか。(日本海という名前はこれから考え直すところだが、いまは情感をこめて日本海と呼んでおこう)
新潟市の南、弥彦の海岸から内陸へ向かった日にも、宿が角田浜の妙光寺だったので、日本海にしずむ夕陽を見ることになった。また海沿いの北陸本線を金沢まで往復したことは昨日書いた。ことに帰路の落日の海の美しさは「腰を抜かす」ほどだった。(このわかりやすい表現はミュージシャンの内田ボブから借りた)
で、今朝はそのつづきだ。
昨夜新潟駅に着くと、地元の稲田さんがwalk9のメンバーとともに出迎えて、宿へ連れて行ってくれた。それがなんと海の家。とどろく潮騒の音で海の近さはわかっていたが、朝、目ざめて驚いた。海の家だからあたりまえだけれど、そこは広大な水平線を目の当たりにする砂浜の上だった。こんなにお母さんの近くへ戻ってくるなんて!昨夜はほんとうに海に抱かれて寝ていたのだ。
北国は夜明けが早い。日が昇ったのは5時前だった。砂浜に座って御来光を迎え、海に向かって瞑想し、それから渚を散歩した。そのとき涼子がこんなことを言った。これまで彼女は人間社会の側から海を見ていたけれど、いま突然、自分が海の側に立っていることを実感したという。オメデトウ涼子。それこそ、巡礼を通じて若者たちに知ってほしかったことなんだ。
そんな体験をぼくも数年前にした。ぼくは山に住んでいるが、その時まで、自分は都会に属しており、都会から離れて田舎暮らしをしていると思っていた。それが木を植えてから、自分が山の側に立ち、森の生きものたちと一緒の立場から人間社会を見ていることを、はっきりと自覚するようになった。
思うに、これがディープ・エコロジカルな内的探究のゴールではなかろうか。この自然への帰属意識あるいは世界観こそ、アメリカインディアンやアボリジニやアマゾンのトライブたちのネイティブ・コンシャスにつらなるもの。そしてこの自然へのグラウンディングが新しい世代のエコロジカルなカルチャー・クリエイティブの出発点になる。
Walk9が出雲を出発してから55日間。ぼくらはずっと日本海とともに歩いてきた。海の喜びと悲しみに心をむすぶ巡礼だった。「お母さん」と呼びかけ、海の痛みに涙を流し、心に悲をともして、いつも海に向かって平和を祈り続けてきた。そうしていま、その祈りが通じたのだろう、いまお母さんが涼子を胸に抱き取ってくれたのだ。人はそうやって海に抱かれるやすらぎを経験する。そうしてはじめて、ぼくたちは自然の側に立つことができる。つまり彼岸に立つ。そしてそこから人間社会を見て、行動をはじめることになる。
今日こそほんとうに日本海を離れてしまうけれど、その朝に、walkに参加した若者がネイティブ・コンシャスに目覚めたことは、ぼくにとって大きなよろこびだった。それこそが巡礼の目的だったのだから。
朝6時。早くも日は高く上った。空には雲ひとつなく、海は青くおだやかだ。さあ、三陸の海へ、六ヶ所村へ向かって出発しよう。お母さん、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

夕陽の日本海を北上する北越7号の車中にて
5月13日、舞茶/正木高志

Walk9は新潟市の南の弥彦から日本海に別れをつげて太平洋へ向かって東進中ですが、ぼくだけwalkを離れて金沢市のネイチャー・ラボへ植林とトークイベントに行ってきました。
今はその帰り、新潟へ戻る途中です。すこし前に富山県朝日町のヒスイ海岸を通過しました。ここは一週間前、富山アースデイに参加した後に歩いたところ。ただいま列車は親不知の長いトンネルの中。これを抜けると糸魚川です。
午後6時をすぎて、日はいよいよ西に傾き、海が黄金色に耀いています。ほんとうにキレイだな~。この日本海沿いを、50日あまり歩いてきたのでした。Walkはもう日本海を離れたのですが、ぼくだけこうしてもう一度足跡をたどっています。
金沢のネイチャー・ラボではコナラ、ミズナラ、ケヤキなど69本の苗木を植えてきました。トークにはサヨコオトナラのオトさんも駆けつけてくれ、「木を植えましょう」や「ブッダのことば」などを一緒に演奏してくれました。ありがとうオトさん。楽しかったよ。
金森先生との対談も大いに楽しみました。小学校の先生をこの春退職されたばかりですが、今は講演で全国を走り回って前よりずっと忙しくなったそうです。「先生はキャッチャーになれ」というのが持論だけあって、対談ではぼくが投げるクセ球をみごとにキャッチしてくれました。気持ちよかったな、腕がしなるくらい思いっきり投げて。おかげさまですっきりしましたよ。ありがとうございました。
前回のネイチャー・ラボでのトークライブ、志賀原発を訪れたときの様子、そして今日のトークをテレビ取材されたものが、14日の夕方6時過ぎに北陸放送で放映されるそうです。お近くの方はごらんになってください。
糸魚川をすぎて、いま熱球となった太陽があかあかと海に沈むところ。なんて美しいのだろう。このあたりも先週歩いたところだけど、その時よりも緑が濃くなり、ほとんどの田んぼに水が張られて、田植えがすすんでいます。
たったいま5月20日にトークライブをやる福島県郡山の「銀河のほとり」の有馬さんから電話があって、当日植樹をやりたいとのこと。木を植えるのって、ほんとうにうれしいな~。そういえば今日は母の日。木を植えると、自然のお母さんがよろこんでくれる。
6時45分。列車は直江津に着きました。ぼくはこんな風にトークに出歩くことが多くなったけど、walk本体は若者、それも女性が中心に、ますますパワーアップして、ひたすら歩いています。ぼくが先頭を歩いていた頃とは比べものにならないくらい威勢よく、意気揚々と、まるで飛ぶように歩いています。やっぱりね、若い人、しかも女性はスゴイ!
日が落ちて暗くなりだしました。列車は海のすぐ近くを走っています。風が強く、海は荒海。まもなく柏崎。ここは3日前に歩いたところ。この母なる海が原発の事故などで汚染されませんように。平和でありますように。あと1時間で新潟に到着です。それまでしばらく寝ることにします。

5月2日、午後5時、満月、アンナプルナ農園にて、正木高志

春分前の新月に出雲へいってから一ヶ月半が過ぎました。夏至までの3ヶ月のwalkのちょうど中間点。もともとぼくは、島根県の出雲から石川県の白山まで、巡礼するつもりでした。その意味でも、おむすび巡礼/walk9は一段落。これから2nd halfに入ることになります。
白山のあと、27日に熊本へ帰り、翌日から連続してトークライブをやってきました。29日は山鹿市で出口信一さんの大本教のお祭りに参加。30日はアンナプルナ農園にサヨコオトナラを迎えて、新しいティピのオープニングセレモニーとライブ。農園にとっても大きな変化の節目になりました。ライブはすばらしく、オトさんとのトークも楽しかったよ。昨日は阿蘇の「虹の岬祭り」でオープニングのトークライブ。忙しかったけれど、阿蘇はやっぱりぼくのマザーランド。巡礼の一区切りになりました。

そしてこの数日間、巡礼/walkはこれからどう変化するのか?考えていました。九州人のぼくにとって、東北地方は未知の世界です。自然の森がいっぱい残っているとも聞いています。とても楽しみです。おそらく一番大きな変化は、60年代の人間であるぼくから2000年代の若者たちへバトンタッチがなされて、表裏逆転するのだと思います、メビウスの輪みたいにね。つまりここからは若者たちが主役を担うことになり、ぼくは陰にまわってサポート役をする。時代の流れから見ても、もうヒッピーでも60年代でもないよね。これから2000年代の新しい若者カルチャーがクリエイトされる。ドロップアウトじゃなくグラウンディングのとき。どこへグラウンディングするかというと、アースファーストの「ひとつの
地球」だよね、きっと。
そこでね、2000年代を創造する若い人たちへ、60年代からのメッセージを伝えておきたいと思う。レナード・コーエンというシンガーソングライターがいるけど、知ってる人いる? ぼくが20代のときから今まで、ずっと一番好きだったミュージシャンです。もう75歳くらいになるはずなんだけど、今でも現役で、すばらしい詩を書いている。彼の最新アルバム「Dear Heather」のなかに「時代の歌」というのがあります。
それを翻訳してみました。

苦痛と情熱に早鐘を打つ
心を深く厳しく見つめることから
われわれは立ち上がる、多数となるために
これがわれわれの出発点だ
心を深く厳しく見つめることから
人類は再び誰のものでもない、自然の地球へ帰るだろう
われわれは安易と利口を好んできたけれど
今は研ぎ澄まされた手と頭とをもって
立ち上がるのだ、多数となるために
狭い帰属意識を離れ
競争も宗教もなく
心を深く厳しく見つめることから
賄賂で書かれた海図に従って舵をとってはならない
そうやって私利私欲のために大衆を騙してきたのだ
われわれは立ち上がる、多数となるために
何百万もの人々を殺戮したものが
法律と芸術を狭く作りかえている
心を深く厳しくみつめることから
立ち上がるのだ、多数となるために

レナードのこのメッセージに触れたとき、ぼくは強く心を打たれました。それまでは「自分さえ良い生き方をしていればいい」と思っていたのです。だけど彼は、「それではダメだ、多数にならなけりゃ」というのです。たしかに、そうなのですね。六ケ所村の核燃料再処理工場の建設や稼働を止めるには、ぼくたちは「多数」にならなければいけない。憲法9条を捨てて再軍備しようとしている政権に対して、ぼくたちは本気で「多数」になる努力をしなければならない。そうしないと平和はクリエイトできない。ひとりよがりでは戦争を止めることはできない。
このレナードの「多数になるために立ち上がれ」という言葉を、ぼくは2000年代の若者たちに手渡したい。3年の凍結期間が過ぎた2012年には「9条を放棄するか、戦争を放棄するか」を国民が決める国民投票が行われます。そのとき非戦を誓う人々が「多数」となるために、いま、そしてこれから、何をすればいいのか? どうすればいいのか? その答えは若者たちが知っているはず。そのために生まれてきたはず。
それを信じてぼくはwalk9の後半を、六ケ所村へ向かって歩こうと考えています。
夏至の日は六ケ所村へ、木を植えに行きましょう!

5月2日午後7時。満月の時刻です。
今日ホクレア号が奄美を出帆し、熊本へ向かっています。
ぼくは明日冨山のアースデイへ。それからwalkに戻ります。

マイサ/正木高志

4月3日満月、正木高志

walk 9からこんにちは。春分に松江/出雲を出発して2週間、島根県・鳥取県・兵庫県を通過して、京都府にはいりました。毎日20kmのペースで坦々と歩いています。
walk in beauty ―三寒四温の早春ではありますが、桜の花が咲き初め、木々も一斉に芽吹き始めて、風わたる山も、光る海も、涙がこぼれるくらい美しく、魂が高く高く空を舞うような日々です。しばらく前までは、みんなうれしくて、朝から晩まで笑いながら歩いていましたが、最近は朝夕瞑想をする静けさを楽しんでいます。

「今日は魚の群れのように一体となって歩こう」とか、「1本1本の木が、森の心を意識して歩こう」など、テーマを決めて歩く日も多いのですが、先日は「walk9に思いを寄せてくれている仲間たちのハートを感じながら歩こう」という日もありました。感じてくれましたか? もちろ〜ん!だよね。メールやドネーションなど、さまざま
な応援、サポートありがとう。おかげさまで、ほんとうにおかげさまで、みんな元気に(少々太りながら)歩いてるよー。

このペースで福井へ向けて歩きつづけますが、4月15日はいよいよ出発以来の大イベント『虹海祭』です。日高さんはじめ、現地の仲間たちが、文字どおり一所懸命に準備をしてくれています。ほんとうに、ほんとうにありがとう。ごくろうさま。

虹海祭は、国際的ピースアクション・日本海の名前を考えるNGO[お母さん、あなたの名前は何ですか?]の設立準備会でもあります。シンポジウムには辻信一さん、歌手のyaeさん、中川いちろうさんがパネリストとして参加してくださいます。国と国を隔てる海が国と国をむすぶ海に生まれ替わるよう、そうして東アジアから「ひとつの地球」が実現されるよう、「おむすび巡礼」の祈りをこめて語り合いたいと思っています。

チャリティライブには真砂秀朗さん、早苗ネネさん、ミナルさん他、たくさんのアーティストが駆けつけてくださいます。真砂さんとyaeちゃんのセッションも楽しみです。国宝「明通寺」の境内がどんな夜になるのか、わくわくしますね。お昼の記念植樹のあとにはミナルさんが舞いを奉納してくださいます。そして正木高志のトークとアンナプルナ・ファミリーバンドのライブも楽しみにしてください。

14日の夜にはプレイベント。16日はスロー・ウオーク・デイを計画しています。時間のある方はどうぞゆっくりしていってください。Walk9のメンバーからの報告も、たっぷり聞いていただきますからねー。たくさんの、たくさんのみなさんのご参加を、待ってま〜す!

虹海祭りはwalkの最初から大きな節目として計画してきたものでした。walk9も、ここから本格的ムーヴメントになってゆくでしょう。廃校になった学校を宿舎として借りてあります。

宿泊500円。貸しふとん1200円です。予約はNGOアンナプルナにお願いします。
電話/ファックス0773-65-1030
メール:crane1010dance@rainbow.plala.or.jp (藤本まで)

おむすび巡礼/walk 9

森が、まるで火の洪水におそわれたかのように燃えつきようとしています。山が削られ津々浦々は埋められて、土を手にとれば土は疲れ、空を見上げれば空は疲れ、飛ぶ鳥も、地を這う虫も疲れ、川は疲れ、海も疲れ、魚たちはうろこの耀きを失い、人々も救いと癒しを求めてあえいでいます。今日の子供たちに訪れる春は、まさしくレイチル・カーソンの予言した《沈黙の春》です。
深く傷つき病んだ川や大地や海という大自然の神。森を壊されてホームレスになった草や木や虫や鳥たち八百万の神々。悲しみの神々のふる里を訪ね、春分から夏至にかけ、出雲から六ヶ所村まで歩くことにしました。心に悲をともし、楽器と苗木を手にとって、木を植えながら、歌いながらゆく《おむすび巡礼》。
六ヶ所村では核燃再処理工場の本格稼動がはじまろうとしています。これは人間が、自然という神に対して踏み越えてはならない一線です。マネーと権力によってズタズタに切り裂かれ、踏みにじられた母なる大地。必要のない、ただお金のためにする、取り返しのつかない自然破壊。米軍の戦闘機が射撃訓練をつづける射爆場の対岸の砂丘に立ったとき、放射能がたれ流されはじめた北陸の海から、わだつみの神の悲鳴が、潮騒にのって聴こえてくるかのようでした。
もう一つ人間が自然というお母さんの膝の上で決してしてはならないこと、それは戦争です。憲法改変はとてもキケンな火遊びです。日本がいま再軍備をすれば戦争になるでしょう。戦争になれば原発がミサイルの標的になります。原発が攻撃されたなら、最悪の環境破壊が生じるでしょう。日本列島だけではなく、世界中がチェルノブイリと化すでしょう。深刻な汚染は数千年もつづきます。
だけど日本人が戦争を放棄したら、まさしくそれは平和の誕生、地球時代のはじまりになるでしょう。武器を捨てることから地球の夜明けはやってきます。日本人が平和を選んだら、その重大な決意と祈りは、朝鮮半島の人々の心に響き、大陸の人々に届き、東南アジアからアジア全域へ伝わり、南米へ、アフリカへ、中東から欧米へと広がってゆくでしょう。60年代につぐbig waveがわき起こるでしょう。
平和を選ぶために、50%の得票はいりません。5%でいいのです。九条を棄てようとする人と守ろうとする人は今のところ50:50です。これまで選挙に行かなかった20代、30代の若者たちが投票に行くだけで5%になります。そうすれば若者たちが未来の鍵を握ることができます。できないことではありません。きっとできる。どうやって?それが星と本能に導かれるようにして思い立ったwalk9の公案です。

2007年 春分       
正木 高志

その日、日本人は地球人に生まれかわる
aid (ナイン エイド)

9.11から、世界は一気にスイングバックの極まで振りきれてしまいました。日本でも保守化と右傾化が進み憲法改定の動きが加速して、現実の政治日程にのぼるところまでやってきました。改憲の焦点は「戦争の放棄」を定めた憲法九条にあります。「戦争しない国」から「戦争できる国」にしようというのです。武器を持つか捨てるかを日本人が選ぶ、その日が近づいてきました。

いま九条問題の歴史的ポテンシャルを本能的に感じとった若者たちを中心に、幅広い階層・年齢層・活動ジャンルで、九条問題を考えるさまざまなグループや取り組みが、自然発生的に湧き起こっています。人と人、グループとグループのつながりも目をみはる勢いでどんどん進み、もはや点や線ではなく面となって時代のうねりと潮流を生みだしています。まるで60年代にこぼれた種が、春をむかえて、一斉に芽吹きはじめたかのように。

九条問題は世界の一大事です。けっして日本だけの問題ではありません。日本人が平和憲法を捨てて再軍備の道を選んだら戦争になるでしょう。それは原発へのミサイル攻撃のような考え得る最悪の自然破壊をもたらすでしょう。だけど、もし日本が平和を選んだら逆に最高の希望を世界にもたらすに違いありません。今日の重大な課題は国家単位では解決できないことばかりです。戦争や環境問題という、現代を死に至らしめる病は、国家主義から脱皮して地球市民意識に立つのでなければ、癒されることはありません。

ナインエイド九条を応援しよう、と自然に湧き起こってきたこの社会現象を9aid movementとよぶなら、9aid(ナイン エイド)はこれから国民投票までますます元気に増殖してゆくことになるでしょう。無数のアクションが9aidの波に乗って、日本が平和憲法を選ぶ原動力となるでしょう。その日、日本人は地球人に生まれ替わる。衝撃は60年代につづくone earth movementの大波となって、世界中に広がってゆくでしょう。

ナインエイド九条を救うには、50%の得票はいりません。5%でだいじょうぶ。武器を選ぶ人と平和を選ぶ人の割合はいまのところ50:50。これまで選挙にいかなかった20代、30代の若者たちが投票にいくだけで5%になります。そうすれば、戦場に立つはめになるかもしれない若者たちが、地球の未来を決めることになるのです。

2007年 春分
正木高志

日本海の名前を考え直してみませんか

韓国の大統領が日本の首相に、日本海を「平和の海」という名前にしませんか、と呼びかけられたそうです。首相はそれを断られたそうですが、いずれにしてもそれを二国間の首長で決めるのではなく、海をとりまく国々の市民たちがいっしょに、ゆっくりと、共有できる名前を考え、決めたらどうでしょうか。

日本海を海の向こうでは東海と呼ぶそうです。でも日本では西にある海を東海とは呼べません。同様に大陸側の人たちにとって日本海という名は受け入れ難いことでしょう。この対立するバラバラの世界観こそ戦争の原因であることは明らかです。だからこそ今この海の名前を考え直す必要があるのではないでしょうか。

各国のNGOがそれぞれの市民から新しい海の名前を募り、それを持ちよって四カ国の市民がみんなで名前を決める。そんな運動が生まれたら、プロセスそのものから平和が生まれるのではないでしょうか。国と国を隔てる海が国と国をむすぶ虹の架け橋となるように、グラスルーツから、海の名前を考えるNGOを立ち上げませんか。

発起人: 正木高志

お母さん あなたの名前は何ですか?

お母さん あなたの北に住む人たちは
あなたを 南海と呼んで暮しています

お母さん あなたの南に住む人たちは
あなたを 北海と呼んで暮しています

お母さん あなたの西に住む人たちは
あなたを 東海と呼んで暮しています

お母さん あなたの東に住む人たちは
あなたを 西海と呼んで暮しています

そうして争っています この海は
南海だ 北海だ 東海だ 西海だ、と

この争いには 終りがありません
みんな正しいのですから  (^/^)

街が大きくなり 森が小さくなり
ゴミが捨てられ 海が小さくなり

とうとう戦争が起こりそうになりました
お母さん あなたの名前は何ですか?

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