2007.10.19 Friday
明日の夜のバスで出発します。
ここに書いて良いのかは良く分かりませんが書いてみます。
みなさまお元気でおすごしでしょうか。出遅れてしまいましたが僕は、明日の夜のバスで青森県六ヶ所村に向かいます。
六ヶ所村ではあしたの森の植樹祭の準備をします。
みんなに会えるのを楽しみにしています。
木を植えよう、つながるいのちのために
☆写真は六ヶ所村の朝日です。
イラスト:真砂秀朗
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walk9日記春分の日に出雲を出発し、夏至の日の六ヶ所村まで本州を北上しながら原発をめぐり、木を植え歌をうたいながら歩きます。途中参加・部分参加もOKです。参加希望者はお問い合わせ下さい。
2007.10.19 Friday
明日の夜のバスで出発します。
ここに書いて良いのかは良く分かりませんが書いてみます。 2007.08.04 Saturday
愛のバグセーニャ(^-^)
正木さんを 2007.08.04 Saturday
伊勢
ひもろぎのさとで 2007.07.15 Sunday
アルバムページに写真をアップ
6月10日〜さいごまでウォークに参加したKCOさんの写真をHPのアルバムペー
ジにアップしました。 かなり膨大な数の写真ですが、ごらんください。 また6月1日〜9日の分もこの日記ページに載せられた写真からピックアップして載せたので、これでアルバムページは完成です。 (文章のレポートがあとから来たら追加で載せるかもしれません) あぱっち 2007.07.12 Thursday
walk9を終えて
2007年6月22日夏至。前夜来降りしきる雨があがり、次第に空が明るくなる。70人近くに膨らんだwalkの参加者が吹越烏帽子(ふっこしえぼし)のふもとから登りはじめた。9時前から登りはじめて10時過ぎに頂上に着く。
正木さんがホラ貝を吹き鳴らす。それを合図にセレモニーが始まった。 山頂にお祀りしてあるオオヤマツミノカミの祠(ほこら)に遠来はるばるお越しになられた出口さんの祝詞(のりと)、定岳さんのお経、日本山妙法寺の矢向さ ん、純さんお二人の庵主さんのお経、HALKOさんの歌、テンツクマンの歌、参加者全員で「オームシャンティ」(「慈しみ」ブッダの言葉)の歌を捧げる。 正木さんのwalk9解散宣言があり、3月21日春分の日から3ヶ月に渡るwalk9が終わった。 山から降りておむすびを食べたあと、午後から、近くの山で植樹、翌日からのアースデイ六ヶ所へと突入。大勢が集まり、バタバタと動き、お祭りモードへと変化するうちに、それまでのwalkの流れは完全にアースデイへと移行して行った。 やれやれ、とゆーか、あっという間にと申しましょうか、ともあれwalk9無事終了しました。 各地でサポートいただいた方々には、本当にお世話になりまして、どうもありがとうございました。 正木さん提唱のwalk9、実際にご一緒させていただいて歩いてみると、いろいろな顔がありました。 まずはおむすび巡礼。そう、walk9は、食材・調理道具持参、朝晩自炊、朝に握ったおむすびをお昼にいただきながらの巡礼の旅でありました。さらに、ご神事、神ごとなのでした。 どうやら正木さんを通して、神々の世界から見た人間界が引き起こす惨事を回避すべく、巡礼の旅を託されていたようなのでした。 そしてまた、レインボーウォリアーズ・ワークショップ。 1960年代のベトナム戦争時、世界的に起こったヒッピーや学生運動やカウンターカルチャーといった新たな価値観、文化のうねりを身をもって体験された正 木さんにとって、ご自身の体験を含めて、2000年代の若者を通して次世代につなげて行く、虹の戦士の養成講座でもあったようです。 walk9はもとより、正木さんご自身もまた、実に多様なお顔をお持ちのスリリングで刺激的なリーダーなのでありました。 熊本の無農薬栽培のお茶農家であり、文筆家であり、ミュージシャンでもあり、行動する思想家であり、哲学者であり、宗教者・求道者であり、敢えて誤解を恐 れずに言えば、神と人とをつなげぐシャーマンであり、神からの言葉を預かる預言者でもあるという、マルチタレントの方なのでありました。 そうであればこそ、walk9の歩みは、外に向かって、憲法九条の危機や六ヶ所再処理工場の危険性を声高に訴えて歩くというよりは、walk参加者それぞ れの内面に向かう歩みでありました。walkによって何がしかの体験をし、自己を確立し、大きくなるといった方向とは反対に、自らのエゴを出来るだけ落と して行く、エゴレス、セルフレスになることによって「おかあさん」=カミ(大いなる存在)とつながり、世の中のお役に立つことが出来るという正木さんのレ クチャーは刺激的なものでありました。 ともあれ、島根の松江、出雲から始まって、みちのくは、青森の六ヶ所村まで、地図を頼りに出来るだけ交通量の少ない道を選んで歩かせていただいたのでしたが、時の首相の「美しい国」を待つまでもなく、あらためて、日の本の郷(さと)はまだまだ美しい邦(くに)なのでした。 車でビュンと通り過ぎたのでは決して見ることの出来ない、歩く速度で初めて目に止まり、立ち止まることで体感し、心に沁み入る景色は、まだまだ健在でありました。 とはいえ、一方では、相変わらず道路には車がひしめき、山々は削られえぐられ、木々は伐られ、枯れて行き、川はコンクリートで囲まれ、海岸線もまた、テト ラポットやコンクリートで埋め尽くされ、一見美しい海は、工場の廃液、生活排水、各種のゴミや放射能によって汚染されていることもまた事実。 瀕死の「美しい国」を救うのは、飽くなき欲望追求や景気回復や軍備増強やましてや戦争などではなく、モノ、カネ優先の競争社会からの転換に違いありません。 このあたりを正木さんは「西洋文明から地球文明へのシフト」と表現されるのでありました。 歩いていると、ただただ、目の前の一歩一歩、いま、ここの一歩一歩、それだけ。 歩く瞑想と言ってもいいほど。そんな中でだんだん感覚はピュアになって来ます。興味深かったのは、岩手から青森に入る終盤、風景の変化につれて、みんなの感じ方が変わって来ることでありました。 岩手の深い森、三陸海岸の海の青さ、広さ。八戸・種差海岸の見事な美しさ。そして、八戸の臨海工業地帯、石油タンクや製紙工場が並び、工場群の煙突から吐 き出される膨大な排煙、道路にひしめくトラックや大型車、さらに、三沢、六ヶ所村の広大な緑の景色、そして核燃施設、再処理工場の煙突、終点の吹越烏帽子 山頂から眼下に広がる360度の眺め…。 大自然のあまりの美しさと人間活動のあまりの過酷さとの壮絶なまでのギャップの深さにあたかもジェットコースターのような感覚を覚えるのでした。 六ヶ所村に近づくにつれて、何人もが重苦しい気を感得していたのも興味深いことでした。 ともあれ、六ヶ所村まで多くの人々が訪れて下さり、吹越烏帽子山頂からの景色に触れていただくことが出来ました。 左手に太平洋、右手にむつ湾を望み、尾ぶち沼、鷹ほこ沼、一柳沼、田面木沼、小川原湖…、美しい湖沼群が広がります。そして眼下の一角には核燃施設、再処理工場の煙突…。 上空では毎日のように三沢米軍基地のジェット戦闘機が轟音を上げて飛び交います。 本格的な放射能汚染の時代を回避するために何が出来るのでしょうか? 戦争の時代を回避するために何が出来るのでしょうか? walkの間、ほぼ毎日、宿泊場所が変わって、寝床の定まらない日々でした。いまだに明け方まだ覚めやらぬ意識の中で「ここはどこだろう?」と思います。おぼろに浮かぶ夢の記憶では、何人かの後ろからただ黙々と歩いていたり、みんなで海に向かって瞑想していたり…。 どうやら、ボクの中ではまだまだwalkは続いているようです。 walkの間中、有形無形のサポートをいただきましたすべての存在に深く感謝いたします。 心から どうもありがとうございました。 2007年6月30日 青森・三沢にて (これは「名前のない新聞」7月号に載せた原稿です。) |
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